説教題 「神と人とに愛されるイエス」寺島謙牧師
ルカによる福音書 2章41~52節
12歳に成長した少年イエスが両親と共に過越の祭を祝うためにエルサレムに旅をした時のことである。祭りの期間が終わったので両親は帰路に着いたが、イエスは一人エルサレムに残っていた。そのことにようやく気付づいた両親は、エルサレムに引き返し、神殿の境内にいたイエスを見つけた。イエスは学者達の真ん中に座り、聖書の話しを聞いたり質問していた。その光景を見て母マリアが「お父さんもわたしも心配して捜していたのです」と言うと、イエスは「どうしてわたしを捜したのですか。わたしが自分の父の家にいるのは当たり前だということを、知らなかったのですか」と答えた。神殿は天の父なる神が臨在する所であるが、その神殿を「自分の父の家」とイエスが言われたのは、神が神殿に臨在するというのではなくて、イエスという人間存在を通して神が生きて働いておられることを示している。だがヨセフもマリアも、イエスが神の御元から遣わされた独り子であることを悟ることが出来なかった。つまり、二人は、神がイエスを通して御自身を表しておられることを信じない罪人であった。だが神は罪人を赦し救うために、人間の姿を取って現れた。これがイエスである。