2022年10月23日

説教題 「正しさの景色、神の一喝」上島一高牧師

ヨブ記 38章1~8節

「イエスはその人たちの信仰を見て、中風の人に、子よ、あなたの罪は赦される」(マルコによる福音書2章5飾)
人はいやされる以上に、まず救われなければならないことを明らかにされた出来事です。中風を病む人のいやしに先立って、主は罪の赦しを宣言されます。すべての人は、罪人であって赦しの対象です。健康であろうと病気であろうと、幸福であろうと不幸であろうと人間としては罪人なのですから赦しを受けねばなりません。中風の人に向かって、「あなたの罪は赦される」と言われるのは、病人である前に人間であることを主iは認めておいでになるのです。そして赦しはその人の全存在を包むもので、しかも永遠の命に結ばれるのですから、生き死にを越えた出来事としてその身に起こります。いやしは、それに反してあくまでもこの世のことであり、肉をもって生きている限りのことです。いかにいやされたとしても死ねば、そこまでのことです。いやされただけでは救われたことにはならないのです。主が罪の赦しを宣言されたことは神への冒涜であると律法学者たちは非難し、これを境に主を十字架の道へと追いやることになります。(「365日の聖書 賀来周一著」より引用)