説教題 「キリストの体である教会」寺島謙牧師
マタイによる福音書 16章13~20節
本日の礼拝より教会修養会に向けて説教したいと思うのであるが、こうして一週ごとに礼拝が捧げられている教会が-体何を基として世に建てられているかについて話してみたい。主イエスと12弟子がフィリポ・カイサリア地方に出かけたときのことである。主は弟子達に「人々は、人の子のことを何者だと言っているか」とお尋ねになられたので、彼らは世間の人々が実際に主イエスについて話していることをその通りに伝えた。すると主は一段ギアを上げて「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか」とお尋ねになられた。主は世の人々が御自分に対してどう言っているかということではなくて、弟子達自身が御自分のことをどう思っているか、どのような存在として信じているかを聞きたいと思われたのである。つまり主は御自分に対する信仰告白をお求めになられた。するとペトロが弟子を代表して、「あなたはメシア、生ける神の子」ですと自らの信仰を言い表した。この信仰告白を土台にして主は教会を建てると約束された。しかも信仰告白は神自らが信じる者達に与えたものである。そうして神は教会を地にお建てになり、天と地とを繋ぐ鍵を与えて、信じる者達を起こし、全ての者を御自分の元に招かれるのである。