「神の言葉を完成されるキリスト」
寺島謙牧師
マタイによる福音書5章17~20節
「わたしが来たのは律法や預言者を廃止するためだ、と思ってはならない。廃止するためではなく、完成するためである」という主イエスの言葉である。ユダヤ人達は先祖のイスラエル以来、神の御心に従って生きることを何よりも大切にして歩んで来た。神の御心は「律法」と「預言者」つまり旧約聖書において明らかにされている。ユダヤ人は旧約聖書にある律法を特に重んじて、これを一点一画まで遵守することによって神の救いに与り、天の国に入れられると信じていた。だが主が「律法や預言者を廃止するためではなく、完成するためである」と言われたのは、救いは人間の業ではなく、神の一方的な恵み、すなわちキリストの十字架の犠牲によってのみ実現することを知っていたからである。人間は神に対して罪を犯している故に、神の御心に従うことが出来ない。しかし、罪無き独り子が罪人の身代わりとなって十字架に死んで下さったが故に、律法は完成し、神の義が実現した。キリストの十字架を信じることによってのみ、罪人は赦されて天の国へと至る救いの道を歩むことが出来る。キリストを信じる信仰だけが求められている。