2022年10月9日

説教題 「主に召される幸い」寺島謙牧師

マルコによる福音書 1章16~20節

 「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」と告げた主イエスが宣教活動を公に開始された直後のことである。主はガリラヤ湖の畔を歩いておられると、シモン・ペトロとその兄弟のアンデレが湖で漁をするために網を打っているのをご覧になられた。その二人に、「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と主がお呼びになられた。すると二人はすぐに網を捨てて従った。更にそこから進むと、今度は、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟のヨハネが舟の中で網の手入れをしているのを主はご覧になられたので、同じように彼らもお呼びになられた。すると二人も父ゼべダイと雇い人達を舟に残して、主に従った。このように最初に主に呼び出された人々は、一生を漁師として終える他ない無学な貧しい人々であった。だが主はそのような者達を敢えてお選びになられた。それは福音を全世界に宣べ伝えるためである。福音は、あらゆる時代状況の中を生きる全ての人間に希望を与え、その命を生かし導く神の救いである。この喜ばしき福音に実際に生き、これを告げ知らせるために、4人の漁師達が主によって召し出されたのである。私達もまた、主から呼ばれている。この召しに信仰を持ってお従いしたい。