み言葉のそそぎ 説教題「主イエスは復活された」 寺島 謙 牧師
主イエスの復活こそ、キリスト教信仰の揺ぎなき土台である。故に主の復活は我々にとって喜びであり救いであるに違いない。だが最初に主の復活に出会った人々が感じたのは、喜びでも嬉しさでもなかった。今日の聖書には、はっきりと「恐ろしかったからである」と証言されている。-体、何が恐ろしかったのであろうか。それは主の復活を通して、神の力が働いていることを知らされたからに他ならない。3人の婦人達は、イエスの遺体に油を塗るために日曜日の朝、墓に出かけた。ところが墓の入り口を塞ぐ大きな石が既に脇へ転がされていたので、中に入ると白い長い衣を着た若者(主の天使)が座っていた。そして十字架の上で死なれたイエスが甦られて、先にガリラヤに行って待っておられるので弟子達に知らせるように告げられたのである。主の復活は、神お一人だけが為しうることの出来る御業である。その神の存在を忘れ、罪と死に滅ぶ他なかった人間にとって、復活は信じがたいことであり、恐れを抱かざるを得ない。だが神は人間を赦し救うために、御子を世にお与えになり、十字架の死によって贖われた。主の復活は、神の救いが成就した恵みの出来事なのである。