説教題 「だれがこの女に石を投げるのか」小島誠志牧師
ヨハネによる福 8章1~11節
「あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます」(Ⅰコリント10:13)。パウロは、旧約の歴史を引き合いに出し、出エジプトの旅がさまざまな試練の連続であったことを振り返ります。彼は言います。「これまで受けてきた試練で、人間として絶えられないようなものはなかったはずです」と。もし耐えられないような試練であるなら、今ここに二本の足で立っているはずがないと気付かせているのです。 さらに「試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます」と言います。試練には、お先真っ暗でこれからどうなると思うこともあるのです。パウロは、いかなる試練にも出口があると確信しているのです。これを信仰の楽観主義と見るのは早計です。彼は、途方に暮れ、出口がどこにも見つからない時にはキリストという出口が必ず残されていることを信仰によって知っているのです。これこそ、「神は真実な方」であることの証しであって、信仰者は裏切られることはないのです。信仰者はたとえ荒れ野の旅の最中にいても、その保証の中を歩いているのです。
(「365日の聖書 賀来周一氏著書より引用)