2022年9月11日

説教題 「福音のためなら」寺島謙牧師

使徒言行録 21章17~26節

 エルサレムに到着した翌日、パウロは仲間達を連れてヤコブを訪ねた。そこには長老達も皆集まっていた。パウロは挨拶を終えると異邦人伝道によって、多くの異邦人達が福音を受け入れたことを報告した。長老達は皆喜び神を讃美した。ところが異邦人の間に生きるユダヤ人達に、パウロがモーセの律法から離れるようにと教えているという噂がエルサレムにも届いており、ユダヤ人キリスト者の間に混乱が生じていた。そこで長老達はパウロに誓願を立てた者と共に神殿に出かけて身を清め、彼らのために頭を剃る費用を出すようにと勧めた。そうすればパウロが律法を軽んじる看ではなく、それを重んじる者であることが証明されるというのである。パウロはこの勧めに素直に従った。それは、福音のためであった。キリストは律法を廃止するためではなく完成するために来られたことをパウロは知っていた。救いは人の業によるのではなく、ただ福音であるキリストを信じることによらて実現する。この福音が誤った噂によって拒まれることがないように、パウロは律法を守ったのである。パウロは、福音のためならば、「ユダヤ人にはユダヤ人のようになる」ことをも厭わなかったのである。