イザヤのメシア預言

イザヤ書53章1~12節

「われらが宣るところを信ぜしものは誰ぞや ヱホバの手はたれにあらはれしや かれは主のまへに芽えのごとく 燥きたる土よりいづる樹株のごとくそだちたり われらが見るべきうるはしき容なく うつくしきかたちはなく われらがしたふべき艶色なし かれは侮られて人にすてられ 悲哀の人にして病患をしれり われらも彼をたふとまざりき」

 古い文語体の聖書では、このように始まるイザヤ書。イエスさまの生涯が預言されています。イエスさまは馬小屋に生まれ、まぶねの中に寝かされていました。その後、エジプトに逃れていくなど、生まれた時から苦難と共に歩んだ人生でした。幼いころのイエスさまを描いた有名な画家の作品があります。マリアのひざ元からよちよちと歩き、ヨセフのもとに両手を広げて歩かれるイエスさまを描いたものです。しかし、その影は十字架の形をしていました。

 イエスさまは、「悲哀の人にして病患をしれり」と書かれていますが、親切な医者のように病む人、苦しむ人のもとを回診して歩まれました。イエスさまは、涙を流しながら、巡り歩かれたのです。そして、私たちの罪のために、傷つけられ、私たちの僕となって、十字架に命を落とされたのです。

 真珠湾攻撃の際に総隊長を務めた淵田氏の回顧録があります。彼は、戦後あるきっかけによって、聖書を読むようになりました。そしてルカ伝の「父よ、彼らを赦したまえ」というみ言葉に出会いました。十字架上でのイエスさまの言葉を知り、彼は、自分のためにイエスさまが祈ってくださっているのではないかと思ったそうです。自分は立派な軍人だと思っていたが、自分こそ弓を犯した人間であると感じたというのです。かれは、自分の過ちを赦してほしいと願い、アメリカに渡り、伝道の生涯を歩んだと回顧録には記されています。

 イエスさまは、私たち一人一人の救い主です。そのイエスさまの誕生や生涯を予言したイザヤ書。文語体の聖書で読んでみると強く心に響いてくるものがあるようです。