サムエル記下7章8~17節
ダビデは成長して勇敢な戦士として人気を集めます。サウル王に妬まれ殺されそうになり追われますが、いつも神さまが共におられてダビデを守りました。ダビデも神さまの前に罪を犯さないように振る舞い、理想的な王となっていきました。
サウル王とその息子が死んで、ダビデはついに全イスラエルを治める王となりました。ダビデは30歳で王となり、それから40年の間イスラエルを治めました。ダビデは、とても優れた政治的、軍事的な能力を発揮して領土を広げていきました。長年苦しめられてきたペリシテ人を攻め滅ぼし、周囲の国々も次々に従えていきました。ダビデはエルサレムを王国の都に定め、そこに十戒の二枚の石の板を入れた「神の箱」を運び入れ、幕屋に置きました。それからレバノン杉で造った立派な宮殿を建てました。
ダビデは国が安定して自分が宮殿に住むようになると、質素な天幕に置かれた神の箱が気になりました。神の箱は、神さまが民とともにおられる(神の臨在の)しるしとして大切にされたものです。ダビデは今の自分があるのは神さまの恵みによるものであるから、その恵みに報いるため、神さまのために、この神の箱を安置する神殿を建てたいと思いました。そこで、ダビデはあらかじめ神さまにお尋ねしようと、預言者ナタンに相談しました。すると、神さまはナタンを通してダビデに語りかけました。神さまは、
「あなた(ダビデ)が私の住む家を建てようというのか。わたしはイスラエルをエジプトから導き出して今日まで幕屋を住まいとして、イスラエルの人々とともに歩んできた。ただの一度としてイスラエルの部族に対して自分の住まいを建てるようにと言ったことはない。」
言われました。つまり、ダビデが神殿を建てることを望まないと言われたのです。今、ダビデが神殿を建てるのは神さまのみ心ではなかったのです。ダビデは悲しい気持ちになったかもしれません。しかし、この後に神さまが語られる言葉に、自分の考えが神さまと対等な立場に立った傲慢(ごうまん)な考えであったと思い知らされるのです。神さまは
「私は羊飼いであったあなた(ダビデ)を選び取って王とした。あなたがどこに行こうとも私は共にいて、あなたの行く手から敵をことごとく断ち、あなたに名声を与えよう。わたしがあなたのためにダビデの家を建ててあげよう。ダビデの子孫が受け継ぎ、あなたの家は絶えることがない。あなたではなくあなたの子が私のために神殿を建ててくれるだろう。」
と言われました。つまりダビデが神殿を造るのではなく、神さまがダビデのために家を建て、ダビデの王朝(王家)をとこしえに続くことを約束してくださったのです。神さまのはかり知ることのできない大きな恵みに、神殿を建ててあげようなどと思ったダビデは恥ずかしくなったことでしょう。この神さまの恵みに人間はどんなことをしても報いる(つまり受けた物事に対して、それに見合った物事を返す)ことなど到底できないのです。ダビデはこの後、ただただ神さまに感謝して祈りました。
神殿はダビデの子ソロモンが建てることになります。ダビデの王朝は繫栄しますが、その後、ダビデの王朝は衰退していきます。神殿も最後には破壊されてしまいます。イスラエルは南北に分裂してしまい、北のイスラエル王国も、その後、南ユダ王国も、外国に支配されてなくなってしまいます。そして苦難が待っていました。いわゆるバビロン捕囚です。神さまはダビデの王朝がとこしえに続くことを約束されたのに、どういうことだろうかと思ってしまいます…。いえいえ、神さまは約束を忘れたりしません。
ダビデ王から千年後、約束通りダビデ家子孫のヨセフからイエスさまがお生まれになったのです。そしてイエスさまは十字架の死から復活して、地上に神さまの家である教会を建てられました。わたしたちのこの教会も神さまがダビデと結んだ約束につながっているのです。神さまは変わらず今もともにいてわたしたちひとりひとりを導いてくださいます。信じて歩みましょう。