6月2日

み言葉のそそぎ 説教題「イエス・キリストの系図」 

ヨハネによる福音書1章6~13節 磯村滋宏兄

 *以下の内容は、上の説教題とは無関係のものです。
「水を汲みし僕どもは知れり」。ヨハネによる福音書第2章1節以下が語るカナの婚宴の物語のなかの言葉である。「をくんだ召使いたちは知っていた」(9節)。宴の半ばで尽きた酒を主イエスがどのようにして補われたか。「水がめに水をいっぱい入れなさい」と命じられただけである。それが今まで提供した酒にまさるうまい酒に変わっていたのである。だが、宴席の客も主人も知らなかった。知っていたのは、実際に水を汲んで主の命令を実行した僕たち、舞台裏の召使いたちであった。この言葉を私が文語訳で覚えているのは、かつて、名説教家であった渡辺善大先生が、これを題として掲げて説教されたからである。この説教題を大書した看板を幾枚か担いで、町の角に立てに行った。この奇妙な題でひとが集まるのであろうか。といぶかりながらであった。しかし、まことにすばらしい説教であった。主イエスのしごとの裏方は、神のわざの最も深い奇跡に手を貸すことができる。それが許される。伝道集会の準備に人知れず苦労することもまた、そのひとつである。あくまでも裏方であり、それ故に知る喜びである。その奇跡によって生まれる人びとの喜びを自分の喜びとする喜びである。
(『み言葉の放つ光に生かされて』加藤常昭著より引用)