「天の国に生きる人々」
5月4日礼拝説教 寺島謙牧師
マタイによる福音書5章10節
「義のために迫害される人々は、幸いである」という主イエスの言葉である。「義」というのは、正しいという意味であるが、世の中には迫害に遭うことを覚悟して、正義を貫く人々が実際にいる。正義を行うことは尊いことである。だが人間は皆それぞれに自分の義を持っている。悪人でさえ自分が義しいと思うのである。義を主張しながら人間は誰一人として義しい者はいないというのが聖書の人間理解である。使徒パウロも「正しい者はいない。一人もいない」(ロマ3:10)と述べているが、人間は皆、神に対して犯した罪故に、義しく生きることが出来ない。すると一体「義のために迫害される人々」とは、誰のことだろうか。それは神によって罪を赦され義とされた我々信仰者のことである。何故信仰者が迫害に遭わねばならないのかというと、信仰者の生活とはひたすら神に従う歩みだからである。預言者達や主の弟子達が激しい迫害を免れ得なかったのは、神の義ではなく自分の義を誇り、これを絶対化する人間の罪故である。だが迫害に耐えて神に従い、喜んで生きる者を神は決してお見捨てになられないのである。これが幸いなことである。