「イエス・キリストの洗礼」
1月12日礼拝説教 寺島謙牧師
マタイによる福音書3章13~17節
主イエスも洗礼を受けるためにガリラヤからヨルダン川のヨハネの所に来られた。ヨハネは戸惑いを覚えた。ヨハネが授けていたのは悔い改めの洗礼である。罪を抱える人間がその罪を認め、悔い改めて神の御前に向き直って歩むためにヨハネは洗礼を人々に授けていた。罪無き、従って悔い改める必要のない神の独り子である主イエスが-体何故、ヨハネから洗礼を受けなければならないか、ヨハネには理解出来なかった。むしろ自分自身が主イエスから洗礼を受けるべきであるとさえ考えていた。だが主は「今は、止めないでほしい。正しいことをすべて行うのは、我々にふさわしいことです」と答え、ヨハネから洗礼を受けられた。主は罪無きお方であられたにもかかわらず罪人と共に生きることを決心された。そして十字架の上で贖罪の死を遂げる救い主として歩まれることを、ヨハネから洗礼を受けることによって始められた。「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という天からの声は、主の受洗が神の御心に相応しいものであったことを明らかにしている。