「隅の親石となったイエス」
1月19日礼拝説教 寺島謙牧師
マルコによる福音書1章1~11節
「家を建てる者の捨てた石、これが隅の親石となった。これは、主がなさったことで、わたしたちの目には不思議に見える」。これは主イエスが詩編118編から引用して話された御言葉である。熟練した建築家が吟味した結果、役に立たないと判断して捨てた石が、実は新しく建てられたその家の一番の土台石になったとのである。これは一般的な話しではない。「これは、主がなさったこと」、つまり神の御業だと聖書は伝えている。実はここから主が話された「ぶどう園と農夫」の譬えのメッセージが分かってくる。主人はぶどう園の収穫を受け取るために、僕を何度も農夫達の所へ送った。だが農夫達はそれを拒み、乱暴を働き侮辱して何も持たせないで帰した。さらに送られて来た僕を殺した。これは神に命を与えられ生かされている人間が神に背き、敵対する罪を犯していることを表している。だが神は人間を見捨てないで、遂に独り子であるイエスを遣わされた。人間はなおも主イエスを拒否し、十字架に架けて命を奪った。だが神が捨てた御子の十字架の死によって、神は人間の罪を赦し、その滅びから救われたのである。まさにキリストが隅の親石、救いの確かな土台となったのである。