「柔和な人々は幸いである」
3月16日礼拝説教 寺島謙牧師
マタイによる福音書5章5節
「悲しむ人々は、幸いである、その人たちは慰められる」という主イエスの言葉である。この御言葉が主の弟子達(信仰者)に語られたのは、二千年以上も昔のことである。だが、「悲しむ人々」は今も昔も存在する。そして悲しみが癒され、救われることを誰もが求める。だが悲しみが癒えず解放されないところに人間の悩みがあり苦しみがある。主も我々同様、多くの悲しみを短い御生涯の中で知り経験された。ある時、愛するラザロを病気で失った時、主は「涙を流された」(ヨハネ11:35)。だが主は人間の本当の悲しみを知られた。それは神のない悲しみである。あらゆる悲しみの直中に私達に命を与え生かしておられる神がおられる。その神を喪失している人間の罪故に、我々は絶望という底なし沼に沈んで行く他ない。しかし、主は神の子であるにもかかわらず、「わたしは死ぬばかりに悲しい」(マルコ14:34)と言われて、十字架の上で死んで下さり悲しみのどん底に立って下さった。そして私たちの悲しみを受け止め、その悲しみの中になお立ち続けておられる神が、我々を本当に慰め救う、慰め主であることを明らかにされる。