み言葉のそそぎ
「イスラエルが希望していること」
9月8日礼拝説教 寺島謙先生
使徒言行録 28章17 ~22 節
ローマに到着したパウロは三日の後、主だったユダヤ人達を自宅に招いた。そして何故自分が囚人としてローマに移送されたのか、その理由を伝えた。まず初めにパウロは自分が同胞のユダヤ人に対しても先祖のイスラエルの慣習に対しても背くようなことは何一つしていないことを明らかにした。にもかかわらず、エルサレムでユダヤ人達から訴えられ、囚人としてローマ人の手に引き渡され取り調べを受けたこと、そして死刑に相当する理由が何一つ見当たらなかった。だがユダヤ人達は反対したので、ローマ皇帝に上訴せざるを得なかったことをパウロは伝えた。しかしこれは、決して同胞を告発するためではなくて、我々の祖であるイスラエルが待ち望んできたことを知らせるために、自分はこのように鎖に繋がれてローマに来たのだとパウロは訴えた。その希望とは福音に他ならない。神の民イスラエルが待ち望んでいた救い主こそ、ナザレのイエスであり、十字架の死と復活によって、イスラエルは今や神との和解を与えられ救われていることを、パウロはローマのユダヤ人達に知らせたかったのである。このためにパウロは、神から遣わされたのであった。