説教(2025年1月月報より)

「主の道を整え、その道筋をまっすぐにせよ」

 マタイによる福音書3章1~12節 

  寺島謙牧師

 今日から待降節に入ります。今朝の聖書箇所には,救い主が神に守られたことが中心に書かれています。もしこの時,救い主が守られなかったなら,待降節とクリスマスの喜びを受けることも,礼拝を日曜日ごとに捧げる事も無かったでしょう。救い主としてお生まれになった幼な子を拝しに来た占星術師が帰った後,夢に現れた天使が父親のヨセフに,「へロデ王が子供を殺そうとしている。エジプトに逃げなさい。」と告げたのです。神はこのように「夢」というような,儚いものを用いても,そのみ旨を達せられるのです。神は先にも,まだマリアと一緒になっていないヨセフの夢に現れて,「マリアを受け入れなさい」と,思いもよらぬことを告げ給いました。ヨセフは悩みましたが,これに従いました。ヘロデ王は自分の地位を脅かす恐れのある2歳以下の男の子を皆殺しにしました。エジプトに逃れた幼子イエスは、このへロデの蛮行を逃れ,無事にヘロデが死んだ後,イスラエルに帰り,ナザレに住む事にならたのです。私達も神を信じて歩んでいますが,「神は本当に在すのか?」と思い迷う事が現実に起こってきます。しかし神はそういう私達に迫り,さまざまなことを通して語りかけ,導かれ、時には引き止め給います。ヨセフほこの時、厳しい現実の中を信仰によって歩み通したのです。
 旧約聖書のホセア書11章1節こ,「エジプトから彼を呼び出し,わが子とした。」とあります。これほ,約400年の間エジプトに住み着き,そこで虐げられてきたイスラエルの民を,忘れられていた「インマヌエル(神は共に在す)」を実現するため,神がそこから導き出された事を指します。この時召されたのがモーセです。(出エジプト記3章9~10節)。このようにして民の命は救われましたが,人間の持つ罪の赦しは,この夜生まれ給うた幼な子,主イエスキリストによらなければ完成しなかったのです。主なる神はそのために,このお方を再びエジプトから呼び寄せ給うたのです。このお方こそ,私達が常に「インマヌエル」と呼ぶ事の出来るお方です。
 人間は神によって創られた存在です。神の似姿として創られ,神と向き合って生きるように創られたのです。それなのに神に背を向け,その結果,罪を犯します。預言者エレミヤが預言した通り,ヘロデ王の罪は大罪ですが,現代もこれと変わらぬ罪が侵され続けています。この人類の罪の贖いのために,主なる神が下さったのが,その御一人子,主イエス・キリストです。待降飾は,この御子の御誕生に備えて待つ時です。旧い時代には、この時期に断食をして待つ習慣があったそうです。この恵みをもう一度神から受け取る準備の時がアドベントです。この時をまことの悔い改めの時として過ごしたいものです。