5月5日

み言葉のそそぎ 説教題「主イエスは生きておられる」 寺島 謙 牧師

 使徒パウロが総督フェストゥスから裁判を受けた数日後のことである。アグリッパ王とその妹のベルニケが、フェストゥスを表敬するためにカイサリアに下って来た。そして幾日も滞在していたので、フェストゥスは拘留中のパウロのことを話し出した。パウロがユダヤの祭司長達と長老達から有罪判決を求められエルサレムへ移送するように訴えられていること。だが原告の面前で弁明する機会も与えずに引き渡すのはローマ人の慣習ではないのでそれは認められず、フェストゥスがこのカイサリアで裁判を行ったが罪状は何一つ指摘できなかったことなどである。それでパウロに尋ねたら、ローマの皇帝の前で裁判を受けることを望んでいるので、護送されるまでここに拘留して欲しいと求められたことをフェストゥスは二人に説明したのである。このように依然としてパウロの置かれている状況は過酷である。だが聖書は不思議なことを伝えている。それは、パウロが十字架の上で死んだイエスが甦って今も生きていることを主張しているので、ユダヤ人達から訴えられていることをフェストゥスが見抜いたことである。そしてこれをフェストクスから聞いたアグリッパ王に、「わたしも、その男の言うことを聞いてみたいと思います」(22)と言わせたことである。福音は、あらゆる困難や苦難、行き詰まりにおいても宣べ伝えられ、あらゆる人々に届けられる、神の御業である。主は生きておられる。