説教(2021年3月月報より)

 降誕節第7受難節主3日(3月7日)礼拝説教より
『サタン、引き下がれ』  寺島 謙牧師
 主の受難の時を迎えています。主は御自身の受難こついて,弟子達に話し始められました。冒頭,「このときから」とあるのは,ペトロが,主イエスが真のメシアであると告白したときから,の意です。弟子達を含めて人々は,ユダヤ民族をローマの圧制から解放してくれる救世主が現れることを切望していました。これは,主イエスが与え給う真の魂の救いとは,全く違ったものであり,主はこの事を危倶されて,自分のことを誰にも話すな,と命じられたのです。ペトロも,正しい意味を理解していませんでしたから,主イエスから御自身の予定された死を知らされると,非常に驚き動揺して,「とんでもないことです」と主をいさめ始めました。この時,主はペトロを激しく叱責されたのです。「サタン,引き下がれ」と。
 弟子の筆頭とも言えるベトロを,「サタン」と呼ばれ,断固として退けられました。サタンとは,我々を神から引き離そうとする,悪の力です。主はこの一言でベトロの誤りを正されたのです。神の愛の御旨を知らず,人間のこと,自分のことを考えている,と。人間のこととは,この世の生活,名声,病からの解放といった,現世の望みのことです。真の救いとは,神の御心が我々に実現されること,つまり,神が共に居られることです。我々にとって,この世の労苦,悩みは避けられませんが,神は常に共にいまして,共に歩み,助け支えられ,勇気と希望をお与え下さるのです。
 同じマタイによる福音書10章には,神こそが我々を生かして下さる方であり,我々は神のものであることを示す,興味ある話が書かれています。「雀一羽さえ,あなたがたの父のお許しがなければ,地に落ちることはない。あなたがたの髪の毛までも一本残らず数えられている。」我々にはこの神に信頼して,頼り切って生きることが大切なのです。このために、主イエスは十字架上の死を遂げられたのです。
 主の歩まれた道は、楽な道ではなく,苦難の道でありました。神の御心に従えるよう,祈り続けられました。ゲッセマネでも,また十字架の上でも。我々にとっては,神の御心に従うことは、非常に難しいことです。主イエスは,「わたしについて来たい者は,自分を捨て,自分の十字架を背負って,わたしに従いなさい。」と言われました。これは,「御心のままに生きる」ということです。ある牧師はこれを,「神に自分の生を明け渡すこと」と語りました。主がまず,十字架に向われたのです。我々は,常に主に問われています。自分の十字架を負うべき時,苦難の時に,イエスは主なり,と告白しつつ主に従い得るかどうかを。主に従うことは,主の恵にあずかる事でもあるのです。 (磯村滋宏)