使徒パウロの伝道の旅は続きます。ギリシャのアテネでは,主イエスの福音を聞いて信仰に入った者も何人かいましたが,多くの人の反対や嘲笑にも会いました。ここを去ったパウロはコリントへ行き,そこに1年6ケ月も滞在しました。彼の伝道としては,随分長い期間です。ここでアキラというユダヤ人の家に住み込んで,テント造りの仕事をしながら福音を語り,後にシラスとテモテが来てからは,伝道に専念します。彼は,主イエスについて,力強く証ししますが,多くの人々は,反抗し,口汚くののしったりします。パウロも,弱り果て,恐れに陥ったことも度々あったはずです。私達が通常理解している使徒パウロは,並外れた強者としてですが(確かに,彼はその通りではありますが),このコリントの教会の信徒に宛てた手紙Ⅰ,Ⅱの中には,恐れと弱さの中にあるパウロの姿が,所々に見受けられます。彼が恐れたのは,福音の真理が,人々の心に容易に届かない事でした。パウロの言葉でさえも,なかなか人々に受け入れられなかったのです。人の罪の深さを思わされます。それにもかかわらず,パウロが語り続けられたのは,主が共にいまし給うて,励ましの言葉をかけられたからです。ティティオという人物の家に移り住んでからは,その隣にある会堂長一家が福音を受け入れ,また多くの人々も信じて洗礼を受けるようになりました。その最中,主の言葉がパウロにのぞみます。「恐れるな。語り続けよ。黙っているな。わたしがあなたと共にいる」。見えない神の力が,信者をおこし,パウロを励ましたのです。
山崎祐博牧師(元四国教区議長,元香美教会牧師)もかつて,深い悩みに陥られたそうです。説教に力が入らず,それが会員の心に届かない。自分でも確信が持てず,会員数も減っていく。どうすればよいのか,悩み考えつつ勉強するうちに,気づきました。自分が信じるか信じないかに関わらず,主は共に居給う。主が自ら牧師を立て,教会を建て給う。牧師の不信仰にも,主が語りかけ給うのだ。この真実に目覚めた時に,山崎牧師は生きかえり,諸問題も解決に向かって行ったとの事です。人間ではなく,神の御心が主体なのです。聖書のコリントの信徒への手紙Ⅰには,「そこで神は,宣教という愚かな手段によって信じる者を救おうと,お考えになったのです。」(1章21節)とあります。
旧約聖書のイザヤ書には,「恐れるな,私があなたと共にいる。」という意味の主の言葉が二何度も出てきます。(例えば,43章1~2節)これこそ,ゆるがない神の約束です。御子を犠牲にされ,その十字架と復活により私共を救い,共におられる神の約束です。この事いを感謝したく思います。