「天には大きな報いがある」
5月11日礼拝説教 寺島謙牧師
マタイによる福音書5章11~12節
今日の聖書は、「わたしのために」という言葉で始まっている。これは、既に学んだ「義のために」という言葉と同義で、「イエス・キリストのために」ということである。神の義のために生きるとは、キリストのために生きるということに他ならない。キリストに倣い従うことを通して我々は神の前に義しい者として生きることが出来る。だがその歩みは苦難の道である。「ののしられ、迫害され、身に覚えのないことであらゆる悪口をあびせられる」。何故ならキリストのために生きるとは神だけを信じて従う信仰の道だからである。キリストのために生きる信仰者の歩みには、あらゆる敵意と憎悪、迫害が伴う。まさにキリストの御生涯が十字架の死に至る苦難の歩みであったことはそのことを明らかにしている。だが主は「あなたがたは幸いである。喜びなさい。大いに喜びなさい」と命じられた。それは「天には大きな報いがある」からである。報いとは神が与える恵み、賜物であるがそれが天から与えられる。その報いとはキリスト御自身である。迫害に遭う時、罵られる時、復活の主が必ず私達の信仰を慰め、励まして義の道を歩ませて下さる。